時代を超える力といふものがあつてこそ時代に生きることなのだ。現在に役だつと同時に、次の時代に役立つものを多くもつてゐるものでなければならぬ。それは、めいめいの者の現実といふもの、「認識」「把握」の仕方如何が大切である。現実といふものをそれだけに見るといふことは、出来ぬといふことはないけれど、「現実」といふものを過去、現在、将来といふ歴史の流れの上において、「かくあるべき世界」観からみるといふことはその人にしつかりした思想がなければならぬ。めいめいの者がめいめいの力によつて、自分の生活が十分に行はれると共に、社会の一員としてよりよい社会がつくられるやうな方向、そこをねらはねばならぬ。「働くもの」「生産するもの」物質的に、そして精神的に、文化価値を創るものが幸福であり、重んじられる時代が来なければならぬ。つとめるものが、高いものをもつて、高いものを創る生産者が重んぜられるやうな時代が来なければ、日本はいつまでも封建時代から救はれないのだ。
特権的なものがいつまでも習慣的に重んぜられるやうな世の中ではならないのだ。他人の労働、(文化的のも含む)を搾取して、不労所得によつて安逸の生活の出来るやうな社会であつてはならぬのだ。
人格の平等、自由、人格尊重、文化の尊重、生産とは物をつくりだすこと、文化かちをつくりだすもの、そういふ人が重んぜられぬ世界は低いものである。今の時代はまだまだ封建的である。これを根底からなほさぬことには信実が真実として通用せぬのだ。そういふ現実を、よりよい現実にとつくりあげることが我々世代の知性であり、良い意志とされねばならないのだ。
「理想的人間像」といふものが昔ながらの古い思想であつてはならぬ。理想的人間によつてつくられる『理想的の社会』それに寄与するものをつくることが、我々の芸術でなければならぬ。
われわれは良い意志と、良い知性と、潔い感情とをもたねばならぬ。それは、時代を超ゆるものをもつて精進することである。
「定本 大澤雅休・大澤竹胎の書」教育書籍(昭和56年発行)大澤雅休ノート(ニ)より
注* 表記は原文のままとした