雅休
12月17日、群馬県群馬郡大類村柴崎にて大澤家の長男として誕生
高崎市宮元町高陽義塾入門・6月退塾
高山社別科入学
群馬県群馬郡金島村小学校に代用教員として奉職
群馬県群馬郡倉賀野小学校へ転任
群馬県群馬郡倉賀野小学校を退職
群馬県群馬郡柴崎村青年実業団労働組合を結成
文章、詩歌の創作開始
高崎歩兵15連隊に入隊
除隊して群馬県群馬郡大類小学校に奉職
開墾のため栃木県金田村安藤開墾村に移住
帰郷して群馬県群馬郡滝川小学校に奉職
検定試験受験、小学校教員免許を取得
堀米イヨ(同校訓導)と結婚
アララギ会員となり島木赤彦の指導を受く
北海道紋別郡南湧別小学校に赴任
「覇王樹」同人として数多くの短歌を発表
帰郷し群馬県勢多郡南橘村細井小学校に奉職
2月短歌誌「野菊」を創刊、主宰
前橋市桃井小学校に転任・綴方教育の振興に尽くす
児童文学雑誌「桃の花」を創刊・幸田露伴の指導を受く
東京に移転・淀橋区落合第一小学校に奉職
雑誌「農民」の編集委員、創作「十日夜」「泥鱒」を発表
丹羽海鶴に書を学び、古法帖により学書に努む
第一回泰東書道院展に入選
「口頭綴方の実際」出版
3月渋谷区幡代小学校に転任
「体験を語る綴方の諸問題」を出版
比田井天来に書を学ぶ
「児童の詩文教育」出版
書学院第三回講習会・書学院助教授に抜擢
書道芸術社に同人として加盟
比田井天来創設「大日本書道院第一回展」にて最高賞特別金賞を受賞
書学院教授に抜擢
平原社を結成、主宰
大日本書道院参事審査員
比田井天来死去
洗硯社発行「洗硯」に「日本書道出発体勢考」を発表
大日本書道院総務審査員
学童疎開のため修善寺・土肥へ疎開
土肥より富山(富山県東砺波郡太田村久泉光円寺)に学童を引率し疎開
日本書道美術院を結成・同院審査員
日本書道美術院を脱退・書道芸術院を結成
第一回書道芸術院展審査員となり「暮雲」出品
平原社機関誌「書原」第一号発行
第二回書道芸術院展に「洞中仙草」「霊山仙草」「素裸の仏陀」出品
日本民藝館で棟方志功と会う
富山県福光町の棟方志功邸「雑華堂」訪問・合作を多数制作
文部省検定教科書・習字科調査委員
第五回日展委嘱作「華下草上」を出品
第三回書道芸術院展に「無累」「草華」「観音脱屎」「万葉集-ささのは-」出品
文部省小学校国語科指導要領編纂委員
第六回日展委嘱作「一期一会」を出品
第四回書道芸術院展に「深山大澤」「虚空無辺」「ぎゃわろ」を出品
第三回毎日書道展に「翰墨因縁」「万葉相聞」「鎧戸-アラゴンの詩-」を出品
第七回日展委嘱作「萬葉二首」を出品
第五回書道芸術院展に「拝山」「萬葉二首」「山嶽重畳(額装)」「時空」を出品
書道芸術院ニューヨーク書道展に「洞中仙草」を出品
書道芸術院関西展に「炎焔不滅」を出品
渋谷区幡代小学校退職 港区青山中学校講師
第八回日展委嘱作「山嶽重畳(二曲屏風)」を出品
第六回書道芸術院展に「淵黙雷轟」「不識底字」「淵深魚蒼」「朝賽暮塩」「棗栗山果」を出品
杉並区下高井戸移転。各室の壁、ふすま、扉に棟方志功の直筆倭画
第五回毎日書道展に「九鼎大呂」(陶皿)「大法無法」を出品
9月門人に手本執筆中、狭心症にて倒れ、死去
没後、第九回日展委嘱作「黒岳黒谿」を出品
本作品は日展の書風に合わないという理由で陳列を拒否される
朝日、毎日、産経、時事の新聞紙上、作品写真、顔写真入りで大きく報道
竹胎
6月17日、群馬県群馬郡大類村柴崎にて大澤家の三男として誕生
大類尋常高等小学校入学
高崎師範学校入学
高崎師範学校中退
北海道・留辺蘂で代用教員
帰郷し兵役検査丙種で不合格、絵の検定に合格
伊藤ちよと結婚
再度北海道に渡り、温根湯小学校代用教員
稔人誕生
北海道より帰郷
上京、荏原区大原小学校の専科訓導となり、絵画を教育
高塚竹堂に入門・書活動を開始
高塚竹堂より「竹胎」の雅号をもらう
高塚竹堂主宰「ささ舟会」幹部
比田井天来・小琴に書を学ぶ
荏原区(現品川区)大原小学校退職
大岡山、自由が丘に書道教室を開校
陽子誕生
大日本書道院第一回展「かな特撰銀」入賞
兄雅休と書道結社「平原社」創立
ちよと離婚
「愛国百人一首」を500部限定出版
平まさじと結婚
雅美誕生
書道芸術院に創立発起人として参加
第一回書道芸術院展かな審査員
平原社機関誌「書原」刊行に協力
第二回書道芸術院展に「いはみのうみ」を出品
棟方志功と会う。板画制作を開始
富山県福光町の棟方志功邸「雑華堂」訪問・合作を多数制作
第三回書道芸術院展に「いめのあひは」「檜葉のきに」を出品
東京教育大学附属駒場中学非常勤講師
第四回書道芸術院展に「ヌマタノ」を出品
第三回毎日書道展に「まねかれて」「啄木の歌」を出品
第五回書道芸術院展に「ふるさとの」を出品
書道芸術院ニューヨーク書道展に「あかこひは」を出品
美術文化展に「しんしんと」を出品
棟方志功主宰「日本板画院」会員・第一回日本板画院展に「沖つ玉藻」を出品
第六回書道芸術院展に「国音四十八字」「がらんちょ竹馬」を出品
第五回毎日書道展に「木がくれの実より」「子」などの木彫作品5点を出品
第二回日本板画院展に「万葉歌」を出品
兄雅休死去
成城学園中等部非常勤講師
第七回書道芸術院展に「沈丁花」「くろつち」を出品
第六回毎日書道展に「富士の歌」「光太郎の詩」「鉄砲百合」を出品
第四回日本板画院展に「女(天に華)」を出品
7月「大澤雅休作品集」を発行
第八回書道芸術院展に「雨ニモマケズ」を出品
第七回毎日書道展に「アラゴン平和の歌」を出品
第五回日本板画院展に「女(かみつけぬ)」を出品・ヴァン・ゴッホ賞受賞
9月、心臓麻痺のため死去